お笑い芸人のやす子さん。
やす子さんが、毎年恒例の「24時間テレビ47」のチャリティーランナーに決定し、話題になっています。
いつも明るく元気なやす子さんですが、壮絶な過去があったそうで気になりますよね。
そこで今回のこの記事では、
- 芸人やす子の壮絶な生い立ちとは?
- 自衛隊入隊の理由も判明
主にこの2つに迫っていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
芸人やす子の壮絶な生い立ちとは?
「はい〜!」と可愛い声で笑顔が印象的なお笑い芸人のやす子さん。
そんないつも明るいやす子さんからは想像できないですが、どんな壮絶な生い立ちだったのでしょうか?
幼少の頃より、芸人としてブレイクするまで「人生辞めちゃおうかな」と思われるほどの困難を乗り越えてこられました。
散々な状況で『人生をやめちゃおうかな』って思ったときがあった」と明かしました。
引用元:めざましmedia
やす子さんの壮絶な生い立ちをまとめました。
- 1998年9月2日誕生
- 幼い頃に父親が家出し、音信不通で母子家庭で育つ
- 貧しい生活でパンの耳を食べてしのぐ日々
- 友達の家の水道で服を洗わせてもらう
- 中学時代→母親との関係も悪化し、自ら児童養護施設に保護を求める
- 14歳か15歳の時に交通事故に遭い急死に一生をえる
- 高校時代→家を出て児童養護施設で生活、学費も払えない状況
- 同級生から仲間外れにされ、3年間トイレで食事し、図書館で過ごした
- 母親と16歳から22歳まで疎遠
- 児童養護施設で生活していることを先生が話した為にさらに孤立し、保健室登校になる
やす子さんは、2歳の時にご両親が離婚されシングルマザーとなったお母様は朝も晩も働いていたそうです。
それでも生活は厳しく、テレビや洗濯機はなく50円でパンの耳を買ってどうにか生きていたと語っておられました。
やす子さんには5歳年下の妹さんがおられます。
妹さんにパンの耳を揚げてお菓子を作ってあげてたらすごく喜こんだと話されるやす子さんは優しいお姉さんですね。
また、中学時代に助けを求めた児童養護施設のことは、お母様には内緒だったとのことから命に及ぶ大変な状況だったと推察されます。
引用元:スポニチ
当時について「母子家庭。母親は昼夜問わず働きに」「給食の残りを自宅に持ち帰り、妹と空腹を満たしていた」「給食がない夏休みは地獄だった」「パンの耳でお腹を膨らませていた」などのエピソードも紹介された。
まとめたやす子さんの生い立ちはどれも、辛く悲しい出来事ばかりですがSNSには次のような発信もありました。
VTRでは可哀想な感じに見えますが実際子供の頃は貧乏だけどとても楽しかったし、1人で育ててくれた母親には感謝しています😄😄😄😄
— やす子 (@yasuko_sma) December 3, 2023
今はとても母と妹とも仲いいです#坂上指原のつぶれない店
さすが、やす子さん。逆境を乗り越えて今があるのですね!
芸人やす子の自衛隊入隊の理由も判明
芸人になる前は、自衛隊にいたやす子さん。
現在、女性自衛官は全自衛官の約8.7%の1.9万人で近年増加傾向にありますが希望者は少ないです。
そんな中、やすこさんが自衛隊に入隊した理由は何だったのでしょうか?
その答えは、生い立ちにありました。
「社会に出てもやっていけるたくわえもなくて、助けてくれという思いで自衛隊に入ったので、まったく志も特になく、逃げる感じで入った」
引用元:スポニチ
高校卒業後未成年で家も借りることができない為、衣食住が揃っている自衛隊に安定を求めて入ったそうです。
やす子さんの自衛隊時代のエピソードに、朝、皆で10キロ走り休み時間に、また一人で10キロ走って筋トレされていたそうです。
ものすごく真面目な人間だったと振り返り、その経験があったから「頑張ったら目標に届くかもしれない」と思えるようになったと自衛隊に感謝されていました。
やす子さんにとって自衛隊の訓練が人生の分岐点となったのかもしれませんね。
まとめ
今回は、芸人やす子の壮絶な生い立ちとは?や自衛隊入隊の理由も判明についてお伝えしてきました。
やす子さんは、幼少の頃より芸人としてブレイクするまでに、自ら児童養護施設に保護を求めるほどの壮絶な生い立ちでした。
また、自衛隊入隊の理由も生い立ちが関係しており、衣食住の安定を求めてとのことでした。
現在大人気のやす子さんは2024年の「24時間テレビ47」のチャリティーランナーに選ばれ、高校時代お世話になった養護施設に恩返ししたいとの思いを会見で語られていました。
ますますのご活躍を応援していきたいですね!
それでは、ありがとうございました!
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