【M-12025】めぞん決勝出場!コンビ名の由来と結成エピソードが面白い?

2025年のM-1グランプリで、吉本興業所属のお笑いコンビ「めぞん」が初の決勝進出を果たしました!

9年間の挑戦を経て、ついに夢の舞台へ辿り着いためぞん。

そんな彼らのコンビ名の由来や結成エピソードが、実はとても面白いんです!

この記事では、めぞんのコンビ名誕生秘話や、NSC時代の感動的な絆のエピソードまで詳しくお伝えします。

目次

めぞんがM-1グランプリ2025で初の決勝進出!

出典:M-1グランプリ

めぞんは2025年のM-1グランプリで、過去最多11,521組のエントリーから見事トップ9に選ばれました。

吉野おいなり君と原一刻の2人組で、吉本興業に所属するNSC東京校22期生のコンビです。

2016年の結成以来、M-1グランプリには9回連続で挑戦し続けてきました。

これまでの最高成績は2023年の3回戦敗退でしたが、2025年は1回戦から準決勝まで全勝突破!

12月21日の決勝戦(ABCテレビ・テレビ朝日系生放送)に出場予定で、エントリーナンバーは1999です。

漫才の持ち味は声の使い方で、迫力のあるパフォーマンスが評価されています。

九州出身のコンビとして、全国に漫才を見せつけたいという強い思いを持っています。

優勝賞金1000万円の使い道については、コンビで単独ライブを開くかタイマンバトルで総取りするとジョークを飛ばしていました!

めぞんのコンビ名の由来が面白い!漫画「めぞん一刻」から誕生?

めぞんというコンビ名は、高橋留美子の名作漫画「めぞん一刻」が由来になっています。

Screenshot

2016年6月9日、NSC東京校22期生の同期として出会った2人がコンビを結成する際、面白いエピソードがありました。

原一刻が4つのコンビ名案を提示したところ、吉野おいなり君が近くにあった「めぞん一刻」の漫画を見て提案したそうです。

その流れでダーツ勝負をすることになり、負けた原が「一刻」という芸名に決定しました!

LINEでの感想戦から生まれたコンビ名というのも、現代的で面白いですね。

吉野おいなり君は1994年2月3日生まれの福岡県北九州市出身で、ボケ担当です。

身長171cm、体重61kg、血液型A型で、趣味はダーツ、HIP HOP、漫画、特技は即興ラップです。

YouTubeチャンネル「板橋ハウス」のメンバーとしても活動しています。

原一刻は1994年7月22日生まれの宮崎県宮崎市出身で、ツッコミ担当です。

身長178cm、体重63kg、血液型O型で、趣味は野球、ゴルフ、料理です。

特技は「何度やっても立ち上がること」という、まさにM-1への挑戦を象徴するような言葉ですね!

めぞん結成エピソードとNSC時代の絆が感動的!

出典:Instagram

めぞんの活動初期は、決して順風満帆ではありませんでした。

神保町よしもと漫才劇場で毎週ライブを重ねていましたが、観客が少なく反応も薄い厳しい時期が続きました。

転機となったのは、吉野のYouTube「板橋ハウス」がヒットしたことでした。

これをきっかけに話題を集め、徐々に認知度が上がっていきました。

2016年から2022年までは主に1回戦または2回戦敗退が続き、2023年に初の3回戦進出を果たしました。

2024年は2回戦敗退と後退しましたが、それをバネにネタを磨き続けました。

そして2025年、ついに1回戦から準決勝まで全勝突破し、初の決勝進出を果たしたのです!

NSC時代には、原が吉野とのコンビを「組んでよかった」とラーメン屋で涙ながらに語った逸話があります。

お互いを思いやる包容力が、漫才の強みになっています。

9年間の積み重ねと「ダークホース」の勢いが、声の熱量ある漫才で決勝切符を手に入れました。

九州出身の共通点と声の使い分けが漫才の基盤となり、九州から全国デビューを目指すスタイルを確立しています。

まとめ

めぞんのM-1グランプリ2025初の決勝進出について、コンビ名の由来と結成エピソードをお伝えしました。

漫画「めぞん一刻」から生まれたコンビ名、ダーツ勝負で決まった芸名、NSC時代の涙の絆など、感動的なエピソードが詰まっていましたね。

9年間の挑戦を経て、ついに夢の舞台に立つめぞん。

12月21日の決勝戦では、九州出身コンビとして全国に漫才を見せつけてくれることでしょう!

めぞんの今後のご活躍が楽しみですね。

応援していきたいですね!

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