藤井風がYouTubeを止めてピアノに向き合った高校の3年間

高校進学を機に、風さんはYouTubeを休止してピアノだけに向き合いました。12歳のお正月から投稿してきた動画を、なぜあの時期に手放したのか想像してみてください。

岡山城東高校の音楽学類(音楽を専門に学べる課程)が、その3年間の舞台でした。ピアノと深く向き合ったあの3年間が、のちの音楽の礎だったと私は感じるのです。この記事では、風さんがピアノに没頭した高校3年間の素顔をご一緒に辿ります。

目次

藤井風さんが選んだのは、音楽だけを学べる特別な場所だった

藤井風さんの公式YouTube動画

岡山県立岡山城東高等学校の音楽学類(音楽を専門に学べる課程)——それが、藤井風さんの選んだ進学先でした。Wikipediaや里庄町公式資料によれば、在学は2013年4月から2016年3月の3年間です。里庄町の実家から岡山市内の学校へ、初めて「音楽の家族の外」へ踏み出した越境体験でもありました。

音楽学類(音楽を専門に学べる課程)とは、ピアノや声楽などを本格的に学べる専門課程のことです。父の手ほどきで幼いころから育まれてきた感性が、ここで初めて「学校」という場と交差します。カフェ「未茶夢(ミッチャム)」で育った音楽が外の世界へ開かれる瞬間——私は胸が温かくなります。

岡山城東高校は、文部科学省のスーパーグローバルハイスクール(SGH)指定校という環境でもありました。父が育てた音楽と学校が交差するこの起点で、静かに幕が上がりました。YouTubeを止め、ピアノと向き合った高校の3年間の始まりです。

ピアノの鍵盤と柔らかな光
ピアノの鍵盤と柔らかな光(Photo by Geert Pieters on Unsplash)

主役ではなく、主役を支えるピアノ——合唱部との出会い

実は風さんが高校時代に籍を置いていたのは、ESS(英語会話部)でした。 合唱部の正式な部員ではなかったにもかかわらず、顧問の先生が彼に声をかけたのです。 部外生の風さんに伴奏を依頼した先生の目には、特別なものが映っていたのでしょう。

kazememo.blogが記録したFM岡山ラジオによると、森野啓司先生はこう語りました。 難曲の楽譜を手渡してから1週間後、風さんは「ほとんど完璧に弾いていた」というのです。 その短い期間が、彼の耳と指の鋭さを何よりも物語っていると私は感じます。

伴奏者とは、スポットライトを歌い手に向けて、自分は後ろに徹する存在です。 その「支える側」という姿勢が、のちの風さんの音楽観にどこかにじんでいるように感じられます。 想像してみてください——あの静かに寄り添うピアノが、ここで育まれたのかもしれない、と。

2015年、埼玉の舞台に立った日——全国大会ピアノ伴奏者として

fujiikazenenpyouの高校年表によれば、2014年の岡山県合唱コンクールで金賞を受賞しています。翌年2015年9月、第54回中国合唱コンクール(鳥取市)で高校部門Bグループ金賞を受賞し、岡山代表として全国大会の出場権を獲得しました。

里庄町から埼玉・大宮の大舞台へ——想像してみてください。合唱部に籍を置かない「部外生」が、全国を争う演奏台でピアノを弾いていた——私には、その静かな事実が胸に刺さるのです。

kiyohisa0919の詳細記録によれば、第68回全日本合唱コンクールでは高等学校部門Bグループで銅賞を受賞。指揮は森野先生、自由曲「地上の楽園の午後」より「優しい偉厳」で、混声69名の声を一台のピアノで支えました。

そしてこの年、YouTubeの更新は止まったままでした。画面の向こうではなく、演奏ホールの鍵盤の前で——風さんの才能は静かに、別の場所で輝いていたのです。

楽譜と音楽の世界
楽譜と音楽の世界(Photo by Marius Masalar on Unsplash)

【nontanの独自視点】恩師が語った「予測していなかった才能」——あの頃の風君は今と変わらなかった

FM岡山ラジオの記録(kazememo.blog.jp)で、森野先生はこう語りました。「マルチな才能」と語りながら、特に印象深かったのが風さんの歌声だったといいます。「歌声の繊細なニュアンスは、当時まったく予測していなかった」という言葉が印象的です。

[画像②:ピアノと窓の光のイメージ(Unsplash)]

2021年3月公開のMV『旅路』は、母校・岡山城東高校の中庭で撮影されました。ロケの場で数年ぶりに再会した森野先生は、「昔の風君のままだった」と語りました。

Wikipediaには、デビュー後に後輩の遠征費を寄付した記録もあります(合唱部と推定)。高校時代に結ばれた縁が、デビュー後もかたちとして現れていた——そう気づかされます。

支える側でいることを自然に選べる人が、あの繊細な歌声を持っていたのだとわかったとき。なんだか深く腑に落ちて、私の胸のあたりがじんわりと温かくなるのでした。

大学ではなく、実家へ戻るという選択——その静かな決断の意味

高校を卒業した2016年3月、藤井風さんは大学進学という道を選ばなかった。生まれ育った岡山県浅口郡里庄町の実家へと静かに戻り、音楽に向き合う日々を選んだのです。「大学不進学=挫折」ではなく、自分の内側の声に従った、しずかで確かな決断だったと私は感じます。

高校在学中に休止していたYouTube投稿が、卒業後にふたたび動き出します。「止めていた」ではなく「準備していた」——そう読み解くほうが、私にはずっとしっくりきます。高校3年間の正規教育が、12歳からの音楽観に重なり、次の発信を豊かにしたのだと私は思います。

お父さんが12歳から育てた音楽の感性と、城東高校の音楽学類で磨いた技術が交わった時期。その積み重ねが、実家での静かな日々にひそかに熟成されていったのでしょう。実家という場所での静かな選択が、藤井風さんという音楽家の土台を、確かに作りました。

まとめ——あの3年間が、藤井風という音楽家をつくった

高校3年間を、「支える・磨く・選ぶ」の3語で静かに振り返ります。合唱コンクールの舞台で誰かの歌声を支え、難曲と向き合いながら表現を磨いた日々。その積み重ねこそが、今日の藤井風さんという音楽家を形づくったと私は感じています。

主役ではなく伴奏者として全力を尽くした時間が、彼の音楽家としての根を深くしたのでしょう。彼の楽曲に宿る「寄り添う温かさ」は、あの3年間に育まれたものかもしれません。あなたにも、誰かを支えることで自分の中の何かが深まっていった時間はありますか。藤井風さんの音楽に耳を傾けながら、そっと思い出してみてください。

▼ あわせて読みたい ・[藤井風さんの家族と生い立ち](https://nontan-blog.com/fujii-kaze-family-oitachi/) ・[「満ちてゆく」——手放した先で満たされる体験記](https://nontan-blog.com/fujii-kaze-michiteyuku-shuchaku-tebanasu/)

藤井風さんの歩みをもっと知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。

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