藤井風さんが12歳のお正月にYouTubeでピアノを弾き始めた話

藤井風さんがYouTubeでピアノを弾き始めたのは、12歳のお正月でした。お父さんの「YouTubeの時代が来る」という言葉が、すべての始まりだったのです。岡山の小さな町で育った風さんは、幼いころから家族と音楽に囲まれていました。

その原点を知ることで、藤井風さんがなぜあなたの心に響くのか、見えてくると思いませんか。この記事では、12歳のお正月から始まった投稿の日々を、私なりに丁寧に辿ります。

目次

「父に勝手に上げられてました」——元日に始まった、ひとつの物語

藤井風さんの公式YouTube動画

2010年1月1日——藤井風さんが12歳、小学6年生のお正月のことです。Wikipediaによれば、父親が「これからはYouTubeの時代が来る」と確信し、投稿を主導しました。その行動力が、岡山の少年の演奏を世界へと押し出したのです。

風さんご本人は後に「父に勝手に上げられてました」と語っています(RBB TODAY より)。その飄々とした言葉に、思わず顔がほころびますよね。12歳のお正月に始まった、ひとつの物語——あの元日が、すべての起点だったのです。

初投稿はコブクロさんの「STAY」のピアノカバー。RBB TODAYによれば、この動画は110万回以上再生されています。撮影場所は後に「未茶夢(ミッチャム)」と明かされた実家の喫茶店(Wikipedia より)——元日の静寂の中で、少年の指は鍵盤を走っていました。

ピアノの鍵盤と柔らかな光
ピアノの鍵盤と柔らかな光(Photo by Geert Pieters on Unsplash)

3歳からピアノ、実家の喫茶店が最初のステージだった

Wikipediaや音楽ナタリーの記録によれば、藤井風さんは3歳からピアノを習い始めました。クラシック・ジャズから歌謡曲・演歌と、多彩な音楽に幼い頃から深く浸かっていったそうです。さまざまな音の色を吸収した幼少期の体験が、あの独自の音楽センスを育んだのだと思います。

そんな風さんのピアノが毎日鳴り響いていたのが、実家の喫茶店「未茶夢(ミッチャム)」でした。岡山県浅口郡里庄町の小さな町の一角にある、こじんまりとしたそのお店が最初のステージです。お客さんたちは、幼い風さんが弾くピアノを、日常のBGMとして聴いていたのでしょうね。

のちに日本中を揺らすことになる才能が、まずあの喫茶店の鍵盤から育まれていたのですね。「未茶夢(ミッチャム)」こそ、風さんにとって本当の意味での音楽の始まりの場所でした。3歳から積み重ねた鍵盤の日々が、すべての原点だと思うたびに、私は胸が温かくなります。

あたたかな喫茶店の光景
あたたかな喫茶店の光景(Photo by Nathan Dumlao on Unsplash)

「何を僕はしてるんだろう」——誰も見ていなくても、弾き続けた日々

Wikipediaによれば、投稿当初は再生数が伸び悩む日々が続いたとされています。悩みながらも細々と動画を上げ続けた姿が、なんともいじらしく感じられます。誰の目にも触れない画面の前で、それでも弾き続けた少年の姿が目に浮かびます。

誰かに届く前から続けられる人が、本物の表現者になる。これは私がずっと感じてきた確信で、藤井風さんはまさにその静かな体現者です。再生数に揺れず、音楽そのものと向き合い続けた時間が、あの表現力を育てたのでしょう。

Wikipediaの記録によると、転機は2012年の「千本桜」演奏動画でした。耳コピとアレンジの確かな才能が、ここで初めて広く世界に伝わり始めたのです。12歳から積み上げてきた静かな時間が、ようやく世界に届いた瞬間を想像してみてください。

「アダルトちびまる子さん」が世界を驚かせた日

クラシックからポップスまで弾きこなし、再生回数を積み上げてきた藤井風さんに転機が訪れます。Wikipediaによれば、2017年8月にテイラー・スウィフトさんのカバーで初めて歌声を披露しました。ピアノだけで語りかけてきた少年が声を乗せた瞬間——どんな響きだったか、想像してみてください。

翌2018年には「アダルトちびまる子さん」が大きな反響を呼びます(Wikipediaより)。国民的アニメの主題歌「おどるポンポコリン」をジャジーに大人アレンジしたこの動画、懐かしいメロディが都会的なジャズに生まれ変わる鮮やかさに、私も初めて聴いたとき思わず手が止まりました。遊び心と確かな技術が溶け合ったアレンジは、一度耳にしたら離れない個性があります。

音楽ナタリーの公式プロフィールには「確かな技術と秀逸なピアノアレンジが各方面で話題に」と刻まれています。岡山の小さな町から生まれた動画たちが、気づけばプロの目にも届くほどの輝きを放っていたのです。

高校でYouTubeを止め、卒業の日に再び動画を上げた

藤井風さんは中学卒業後、岡山県立岡山城東高等学校の音楽学類(音楽を専門に学べる課程)へと進まれます。Wikipediaによれば、高校在学中はYouTubeへの動画投稿をいったん休止されていたそうです。音楽だけにひたすら向き合った3年間を想像すると、胸がしんと静まる気がします。

高校を卒業した日、藤井風さんは自ら動画投稿を再開されました(Wikipediaより)。音楽だけを深めた3年間の後に、再びカメラの前に座った——その瞬間を思うと、胸が静かに騒ぎます。どんな曲を選んで、どんな気持ちで弾いたのか——想像してみてください。

再開と同じ頃、お兄さんの藤井空(ふじい そら)さんとの共同チャンネル「solakaze」もスタートします(Wikipediaより)。「空」と「風」を組み合わせたこのチャンネル名、兄弟の絆がそのまま言葉になったようで、なんだかじんわりしますよね。ピアノとトランペットを奏でる空さんと並ぶ風さんの姿が、目に浮かぶようです。

おわりに——12歳の元日がくれたもの

お父さんが「勝手に上げた」一本の動画が、今日の藤井風さんへとつながっています。「これからはYouTubeの時代が来る」——お父さんの確信が、その朝の扉を開きました。黙々と鍵盤に向かう少年の静かな意志と重なって、音楽は世界へ届く力を宿しました。

12歳の元日、実家の喫茶店でカメラに向かったあの朝を、私はいつも目に浮かべます。初投稿動画の再生回数は、すでに110万回を超えているそうです(RBB TODAY)。好きだから弾く——その純粋さが、世界中に届く音楽の出発点だったのだと思います。

あなたにも、誰かが静かに背中を押してくれた瞬間が、きっとありますよね。風さんの家族や生い立ちは、藤井風の家族と生い立ちでより詳しく綴っています。また、藤井風の音楽に救われた日も、よければあわせて読んでみてください。

藤井風さんの歩みをもっと知りたい方は、こちらの記事もどうぞ。

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